『笑わぬ姫君』(8)

 お里の呉服屋を出た帰り、私達は、道端で一人の女性と出会いました。

 色白で背が低く、鼻も低めで、年は50代前半頃でしょうか。ややふくよかで穏やかな顔をした方で、その容姿は少しうちの母をも思わせるところがあります。

「あら、お尚じゃない!どう?お城では、うまくやってる?」

「もう…。お母さんてば、私は大丈夫だって言ったでしょ!」

 お尚に気づいて駆け寄ってきたその女性は、どうやら彼女の母親だったよう。

「あ、紹介するわ。こちら、私の母」

「尚の母親の、照(てる)です。お尚のお友達?仲良くしてあげてね」

 お照は私と姫様に向かって屈託のない笑みを送る。そんなところまで、うちの母によく似ている。

「お尚さんの女中仲間で、私は清といいます」

 思わず返したが、彼女の視線は私を通り過ぎ、姫様の方へ向かう。

「まあ~。それで、そちらのあなたは?」

 まさかの問いに言葉を失った。姫様の顔も青ざめている。

 まさか、ここで本当のことを名乗るわけにはいくまい。けど、こんなときのための切り返しを私は考えていなかった。

 お尚が口をぱくぱくさせながら母親の気をそらそうとしたが、それでもお照の興味は薄れない。

「あなたもお友達?でもうちと違って、随分いいとこのお嬢さんなのね。いい着物を着てらっしゃるもの」

 焦る私とお尚。

 でも、心配は御無用だった。

「とう……ではなくて、藤(ふじ)と申しますの。父が武士をやっていまして、それが結構位の高い地位にいるものですから、おかげで娘の私も着る物には不自由せずに暮らしていまして……」

 びっくりした。でも、さすがは姫様だ。うまくごまかせていると思う。“武家の娘・お藤” とはよく考えたものだ。幸い、お照も気づいていない様子である。

「まあ……そうなの。藤の花の名の如く、これまたとてもお美しい方ね。どうぞうちの尚と仲良くしてやってくださいね」

 そうしてお照と別れた帰り道、姫様の横顔を見て、ふとお尚が言った。

「なんか、姫様、変わりましたね」

「そう?」

 首をかしげて、彼女は問いかけるように私の方を見る。

 相変わらずお美しいお顔――冷たい印象も少なからずあるけど、でも、以前より明るくなったようにも感じた。

「そうね……少し明るくなったように感じます」

「明るく…?」

「ええ、初めてお会いしたときより、笑顔が増えたというか…。少しは心開いてくださったのかな、というか…」

 すると彼女は何か考えるように、視線をずらし、しばしの沈黙のあとでこう言った。

「どうしてかしら……。あなたって不思議な人なのね。なぜか、何でも話したくなってしまう…」

 そうしてお尚の方を振り向き、

「あなたもそうだわ。あなたを見てると、なぜか、可笑しくてたまらなくなるときがあるの。こんな気持ち、初めてだった…」

 次に振り向いたお藤の笑顔は、まるで天使のようだった。

「…お尚、それからお清」

「は、はい!」

 ふいに名前を呼ばれて、思わず目を丸くする。それは、お尚もまた同じだった。

 というか、今、名前で呼んだ…?滅多に名前で呼ばない、彼女が…?

「お礼は言わないわ。けど、あなたたちのこと、少しだけ信頼してあげる。少しだけね」

 そう言って、彼女はいつもの顔に戻り、私達を置いてそそくさと帰路を行く。私とお尚は、顔を見合わせた。

「お尚…さん」

「…これって、進歩したって考えていいのかしら?」

 ごくりと唾をのむ。とたんに、笑みがこぼれ出した。

「そうよ、絶対そうだわ!姫様は私達のこと、ほんの少しでも信頼し始めているのよ!ええ、確かにそうおっしゃってたもの!」

 お尚の顔も、みるみるうちに笑顔になっていく。

「そうよね?やっぱり、言ったわよね?はぁ~、なんか、嬉しいやら、恥ずかしいやら…でもよかった!!もう一息ね!!」

 そう意気込むお尚だが、勢いづくあまり、またなにか大けがをするんじゃないかと危なっかしい。

「もう、お尚さんたら! “死ぬほど焦ったり” しないでね?」

「大丈夫よ、私、そこまでドジじゃないから!」

 私達は笑い合い、慌てて姫様を追う。そうして城に帰った姫様は、すこし明るくなった気がしました。

 心優しいお里やお照に出会い、私たちにも徐々に心を開き始めていってるのかもしれません。

 その証拠に、次の日になってもそのまた次の日になっても彼女は「内緒で連れてって」とお忍び城下訪問を頼んできます。

 これには奥方様も守ノ局様も、彼女が明るくなったと大喜びのご様子でしたが……。


――いやよ。めんどくさいもの。それに、あとからお節にあれこれ言われるのも嫌だわ。


 一度目の提案の際、姫様が拒んだときに彼女がこぼしていたセリフを、私はすっかり忘れていたのでした。

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