『笑わぬ姫君』(9)

 いつものように、私とお尚で壁をつくり、町娘に変装した姫様を城下へ連れて行こうとしたそのとき――。


「ちょっとあなた!」


 ふいに声をかけられ、振り向くと、そこには厳めしい顔でこちらを見据えているお節様の姿がありました。

「そんな庶民のような格好をして、一体どこへ行くおつもりですの?」

 私もお尚も、言葉を失う。

 いずれこうなることは分かっていたつもりだったけれど、いざそのときになってみると、どうしたら良いか分からなかった。

 ちらりと横目に姫様の姿を窺ってみると、彼女もまた困り果てた様子で、力無く俯いている。


(だから私は嫌だと言ったのに…)


 そう言う彼女の悲痛な叫びが、今にも聞こえてくるようで、私の胸は罪悪感に苛(さいな)まれていきました。


 すると、いつの間にやってきたのか、そこには女中頭のお鈴の姿があり、彼女もまた厳めしい顔つきをして私達を非難しました。

「はあ、あんたらはまたとんでもないことしてくれたね。何してたかは大体想像がつくよ。またくだらないことでも始めようとしてたんだろ」

「くだらないなんて、そんな……!」

 弁解しようとしたお尚に、お鈴はぴしゃりと言い放つ。

「お黙り!言い訳なんて聞きたかないよ。とにかく、これは奥方様にもご報告する必要があるね――ねえ、お節様」

「ええ、その通りですわ」

 お節様は頷いて、独り言のようにおっしゃる。

「まったく、この娘ときたら……本当、とんでもない子ですわ」

 大きく溜息をつき、きらりと光った眼鏡の奥には、心底呆れたような眼差しが浮かんでいました。


「だから言ってるでしょう!二人は私のためにやってくれたのよ!」

 大広間に向かい合った姫様は、彼女の定位置(広間の一段上がった場所)から奥方様に向けてそう言い放った。

 それを奥方様は黙って聞き、最後まで聞き終えると私達に尋ねました。

「それは本当なの、お清、お尚?」

「姫様のために――姫様に笑顔になっていただくために、少しばかりの気分転換になればと城下へお連れしたのは本当です。ですが、姫様の身の安全のことまでは考えていませんでした。その件については、申し訳ありませんでした」

 三つ指をついて、私は深々と頭を下げる。遅れてお尚も頭を下げた。

「も、申し訳ありませんでした…」

「何言ってるのよ、二人は悪くないわ」

 だから頭を上げて…と言う姫様に、お節様が皮肉な口調で呟く。

「そうよ。悪いのはあなたですよ、藤姫様」

 姫様はさも居心地悪そうに、お節様から目を逸らす。だが彼女の説教は続く。

「まったく、あなたは贅沢な城の中で何不自由なく暮らしてきたから、わがまま放題好き放題で困りますわ。せめて城主の娘だという自覚を持って、恥さらしな行動はお止めになってくださらないと」

 お鈴も、私達を責めるように言います。

「そうだわな。あんたらも、軽率な行動は慎むべきだわ。ましてや姫様を城下になんぞ連れていくなんて……姫様に何かあったらどうするつもりだっただ?」

「申し訳ありません……」

 私達はただ、この事態を深く詫びることしかできませんでした。

 すると突然、姫様が唇を震わせて叫んだ。

「おまえ達など、クビじゃ!」

 これには私達も奥方様も唖然としました。けれど、当の本人――お節様とお鈴は強気です。

「やれるもんならやってごらんなさい」

 姫様は歯を食いしばる。彼女と二人は睨み合い、部屋には嫌な沈黙が訪れました。

 ふいに、今まで黙り込んでいた奥方様が声を上げる。

「あなたは反省してるの、藤姫?」

 彼女は母親を見上げ、ゆっくりと頷く。

「そう……じゃあ、あなたを信じてみるわ。今回のことは大目に見ましょう。でも、今度私やお節達に心配かけるようなことしたら、今度こそ、いいわね?」

 奥方様はお節様の方に振り返って、

「あなた達も、今回は少し言い過ぎよ。厳しくするのは結構だけど、あまりきつく言わないであげてちょうだいね」

 その言葉には二人も渋々ながら納得したようで、今回だけはと見逃してくれたようでした。そして奥方様は最後に、私達にもこうご忠告され、部屋を去って行きました。

「お清とお尚も、十分気をつけるんですよ。もしも娘に何かあったら、そのときはただじゃおきませんから」

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