『笑わぬ姫君』(6)
夜、寝静まった廊下を歩いていると、いろいろ考えてしまいます。
姫様はどうしたら笑ってくれるのか、とか。それに、過去に姫様にあったできごとも。それから守ノ局様のことも……。
そのせいか、足は自然と姫様のもとへ向いていました。
薄暗い廊下に差し込む一筋の光……
視線の先には、あの夜――私がここへ初めてきた夜と同じ、寂しげに月を眺める藤姫様の姿。
「姫様…」
私が声をかけると、彼女は驚きもせずゆっくりと振り向き、しばらく私の方を見て、やがてつまらなそうに目をそらしました。
そんな藤姫様の姿を見て、ふと脳裏にお和の言っていたある言葉が蘇ります。
――姫様が笑わなくなったのって、兄上様と幼馴染の海之進様が出て行かれてからでしたっけ。
もしかしたら……。
「姫様、もしかして、海之進様のことを…」
「何故その名前を?」
姫様はとっさに振り返って、顔をこわばらせました。
「申し訳ありません、聞いてしまいまして…」
「まあいいわ。あなたには、話してあげる」
彼女はすべてを話しました。その小さな胸の内にかかえていること、すべて。
「海之進様はね、父様の友人の子供だったの。父様たちが話している間、私と兄様は彼と一緒に遊んでたわ。楽しかった……けどね、私が思春期に入るころだったかしら。彼は急に来なくなり、兄様とも離れ離れにされたの…」
「離れ離れって…。一体誰がそんなこと…」
ふと、私は考えてみる。
まず、奥方様…ではないのは確かだ。だって姫様が笑うよう頼んだのは、紛れもなく彼女なのだから。その彼女が、笑わなくなった原因を自ら作ったとは思えない。
でも、こないだの寂しげなお姿……いいえ、まさかそんな―――そんなことあるはずないわ。
思い悩む私の耳元に、姫様がささやく。
「……お節よ。私のお目付け役の。彼女は、私が異性とかつてのように一時でもともにすることをとても汚らわしいことだと思っているの。一国の姫様でもあろう女性が、家族でもない男性と一緒にいるのは危険だって。きっと私、結婚もさせてもらえないんだわ……」
そんなのひどすぎるわ、と私はまたしても同情を覚えた。けど、「花ノ介様とは…花ノ介様は、あなたのお兄様でしょう?」と聞くと、とたんに姫様は口ごもった。
「それは………」
やはり、何かある。
「言いたくないなら、いいわ。けど、明日、私と一緒に城下に行ってみません?こないだは断られましたけど……こんなときだからこそ、行ってみるべきですわ。ね、きっと気分転換になると思うわよ。」
すると姫様は一つ頷かれて、私はそんな彼女に微笑みを返すと、明日の予定を胸にようやく眠りについたのでした。
翌朝、私はお尚を連れて、姫様の部屋へ向かいました。
「お待たせいたしました」
「遅いわよ」
襖を開けたとたん、彼女は不機嫌そうに私達二人を睨みつける。
「申し訳ありません…」
とっさに頭をさげた私の横で、同じく頭を下げたお尚がささやく。
「姫様、平静を装ってはいるけど、城下を見物するのが楽しみでしかたないんじゃない?まったく素直じゃないんだから」
そういう彼女の顔は、何が嬉しいのか、満面の笑み。
対して、ささやく声を聞き取って振り返った姫様の顔は、相変わらずのすまし顔。少し怒っているような気もします。
「何か言った?」
「い、いえ、何も…」
お尚の言うのとは違い、浮かれた様子など少しも見せず、姫様は先を急がせる。
「何やってるのよ、行くんでしょう?城下へ。言っておきますけど、誘ったのは貴方なんですからね」
「はいはい…」
これがいわゆる “あまのじゃく” というやつなのだろうかと、思わず笑みがこぼれる。それと同時に、なんだか姫様がとても愛しく思えました。
「ほら、これに着替えて。庶民の娘の髪の結い方を教えてあげるわ」
こうして姫様は町娘に変装し、私達はこっそりと城をあとにしたのでした。
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