『笑わぬ姫君』(5)

 女中部屋での出来事があった次の日。

 私は、広い庭を望む、この城の隅にある大きな部屋に来ていました。姫様の乳母でもある老女中・守ノ局(もりのつぼね)様の部屋です。

 ここは静かで、普段の慌ただしさもすっかり忘れてしまいそう。庭から聞こえてくる風の音、水の音だけが、私の気持ちを鎮めてくれます。

 その庭を縁側から座椅子に腰掛けたまま眺めているのは、守ノ局様――眼鏡をかけた、やや白髪交じりの穏やかな女性でした。


 昨晩、私が考えていたこと。


(城に長年仕えている人物なら、姫様のことも、何か知っているに違いない…。)


 そうして辿り着いたのが、彼女……姫様の乳母である守ノ局様でした。どうせなら、もっと早くに気付いてもよかったのだけど。

「あの……守ノ局様…」

 私が言うと、彼女は庭に向けていた顔をゆっくりとこちらに向け、にっこりと微笑みかける。

「話は聞いています。あなたが、お清ですね。」

 私は頷く。

「それで、ご用は何かしら。ここに来たということは、なにか、私に聞きたいことがあるのでしょう?」

 再び頷き、ごくりと唾を飲む。

「あの…姫様のことを、藤姫様のことを教えてほしいんです。」

 穏やかな顔付きのまま、彼女は小首を傾げる。

「姫様の…こと?いったい、何を知りたいのですか?」

「――初めてお目にかかった姫様は、とてもお美しい方でした。想像を超越した美しさでしたわ。けれど、彼女にはどこか……寂しさを秘めているようにも感じられたのです。かつては、あのような方ではなかったのでしょう…?やはり、過去に何かあって…?」

「そうですね……。あなたのおっしゃる通りです」

 彼女はため息をついて、何か考えるように目を伏せる。

「姫様が小さい頃は、よく笑う、素直で可愛らしい娘さんでした。あなたのいうように、姫様はとても美しい方です。今もたしかに美人ではありますが…。ですが、何か抱えていらっしゃる……。どこか寂しげな影を背負っておられる……。あなたのいうその見解は、間違ってないと思います。確かに、彼女が笑わなくなったのには、彼女自身にも何か理由があるんでしょう。けど、誰だって私事権(プライバシー)というのはありますからね。あまり根掘り葉掘り聞くのは、私は感心できません。それに、姫様には自尊心(プライド)というものもありますから……。」

 穏やかな彼女の顔が、やや険しくなったように感じられました。

 でも……来たばかりの私には、姫様のことは何も分からない。そんな状態で、いったいどう笑わせろというの?

 お尚のギャグ――は言うまでもないけど、藤姫様は、私の言葉には少しも耳を傾けようとはしなかった。過去、姫様にあった出来事を知っていれさえすれば、何か分かる気がしたのに……。


「そういえば……。姫様が笑わなくなったのって、兄上の花ノ介様と、幼馴染の海之進様――このお二人が出ていかれてからでしたっけ。」


 ふいに声がして、私は振り向く。

 それは、部屋の隅の方に立って、さっきまで黙って話を聞いていた、守ノ局様の側近―女中のお和(かつ)という人物でした。

「これは、飽くまで私の推測なんですけど……。おそらく、親しかった兄上様と離れ離れになったのが原因ではないでしょうか。姫様、お兄様大好きでしたからね…」

 けど、守ノ局様はそれでも頑なに話そうとはしません。

「どうでしょうかね……。わたしは存じませんけれど。ただ、花ノ介様も、藤姫様も、寂しさを抱えていらっしゃいます。ただそれだけですわ」

 そうして再び庭を眺める彼女を、私は黙って見ているしかありませんでした。

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