『笑わぬ姫君』(2)

「何よ、嫌な人!」

 私の隣で、白い頬を真っ赤に染めた尚がそう叫んだ。

「笑わなくなったとは言ってたけど、まさかこれほどまでとは…。でも、これはあまりにも酷過ぎるわ。挨拶くらい、してくれてもいいじゃないのよ!ね?」

「お尚さん…」

 私は、彼女に何と答えてよいか分からず、ただただそう呟いた。

 そんな二人の間に流れる空気を破るかのごとく、お紀が言った。

「さ、ついてきてください。お二人のお部屋はこちらですわ」

 言われるがまま、一言も喋らず私達はお紀の後に続く。そうして、角の小さな部屋へと通された――最初に通されたあの女中部屋である。

「ここがお二人のお部屋になります。」

「二人の部屋?」

 尚が訊き返す。恐らく彼女は、私と同室になったことをあまり快く思っていないのだろう。かくいう私も、今の怒り心頭な彼女と一緒にいることは苦痛だった。

「あの…部屋はもう一つ空いてないのかしら?」

 私が訊くと、お紀は苦い顔をして「確かに空いてるんですけど…その…」

「え?」

 首を傾げた私の横で、尚が言う。

「だったら、その部屋を私の部屋にしてくれない?それでいいでしょ?」

 彼女はまだ怒っているようだった。決まり悪そうに目をそらすお紀が、私には不憫に思えて仕方がなかった。

「あの、お紀さん」考えるが早いか、私はそう口走っていた。「分かった。私達、ここで我慢するわ」

「私達?私 “たち” ってどういう意味よ?」

 案の定、尚は顔をしかめる。

「そのままの意味よ。貴方もここで我慢なさい。大丈夫、掃除は私がやるから」

 心情を悟られぬよう、満面の笑顔を繕って答える。そしてお紀に向けて「さっきのことは気にしなくていいわ。ごめんなさいね、答えにくいこと聞いちゃって」

 けれど、お紀の曇った顔は晴れない。

 振り返ると、お尚が納得いかない様子でこちらを睨みつけていた。

「いい加減にしなさいよ」

 こうなれば私だって黙ってはいない。

「私と同室は不満かしら?それとも、お紀さんをこれ以上困らせる気?」

 お尚は歯を食いしばる。

「……違うわ」彼女はそれだけ言って、口を噤んだ。

「だったら、ここでいいわね」

「ええ…」尚は、すっかり大人しくなってそう頷いた。どうやら、完璧に立場逆転してしまったようだわ。

「お紀さん、ごめんなさいね。もうさがっていいわよ」

 そう言う私に軽く頭を下げ、「着物は机の上にあります」と告げお紀は去って行った。

 机の上には、二人分の着物が綺麗に畳んで置かれていた。柄は普段私達が着ていたのよりずっとシンプルな細かい市松模様で、色も落ち着いた白地に紫である。

 私は、隣でお尚が見ていることなど大して気にもせず、早々と着物に袖を通し始めた。


 そんなお清を、お尚はただ呆然と立ちすくんだまま眺めていた。

 なんとまあ美人なんだろう…これほどまでの美人が、この世の中にいたなんて。あの大きく意志の強そうな目は、自分とも少し似ていると思っていた。自慢じゃないけど、私もそれなりにスタイルはいい方だし。

 けど彼女の美しさはまた別格だった。着物を脱ぎ着する、その一つ一つの動作すら美しく、その下の白い肌とふくらんだ胸も彼女の美しさをより際立たせている。側に私がいながら、臆することなく着替える大胆さも、また私にはないものだった。

 もし私がそんなことをしようものなら、真っ先にこう罵倒されることだろう――「羞恥心のない女」だと。


「…何やってるの?あなたも早く着替えなさいよ」

 着替え終えたお清の声で、お尚は我に返った。

「え、ええ…」

 曖昧な返事をして、慌てて机の上の着物に手を伸ばす。だがその瞬間、お尚は手前に立っていたお清の足につまづき、顔面から硬い机の角に突っ伏した。

「痛っ!」

「だ、大丈夫?」

 苦痛に顔を歪める彼女に、私は考えるより早く行動に向かった。

「ちょっと顔見せて。怪我はしていない?痛みはある?」

 肩をしっかりとつかみ、真剣なまなざしで顔を覗き込む。お尚は額を押さえたまま、唸るように言った。

「大丈夫……いつものことだから」

 そして、半ば自嘲したように笑った。

 私は医者でないのではっきりしたことは分からないが、彼女のいうように大した怪我にはなっていないらしかった。

「でも…すごい顔をしてるわ。やっぱり痛むんじゃない?」

 お尚は首を横に振る。「大丈夫だって言ってるでしょ。心配しないで」

 珍しく頑なな態度の彼女を前に、私は考えてみた。一体どうしたら…。しばらく考えて、私は彼女に向けてこう提案をした。

「だったら、早く着替えなさい。もし本当に痛むのだったら、早く医者に行って」

 こう冷たく突き放すことは、正直気がひけたが、こうでも言わないときりがない。だから私は心を鬼にして言った。

「…ええ、分かってる」

 お尚は額を押さえ付けながら、ゆっくりと着物に手を伸ばす。今度はぶつけないように、慎重に。そうして着替え始めるお尚を、私は終始無言で見つめていた。


――ばかね、私。彼女は大丈夫だって言ってるのに……。


 一体どれほど心配すれば気が済むのかしら。そんなことを考えながら。

1コメント

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  • ゆかれっと

    2023.08.19 13:00

    【つばさ様より】 こんばんは(*゚ー゚)v お尚とお清の掛け合いが面白いなぁ(≧~≦)) どうしてお姫様は笑わなくなってしまったんだろう?それは後のストーリーでの、お楽しみかな(^^ゞ お清ちゃんに見とれていたせいなのか? お尚ちゃんのドジにも、どこかお尚ちゃんの愛嬌をさそったように思えて、とてもいい感じ(=⌒▽⌒=)