『笑わぬ姫君』(1)
私がこの城に来たのは、他でもない、姫様のため。でも何故私?私なんて、ただの庄屋の孫娘だというのに。
「あの、お清(きよ)さん…でしたよね?」
そういうのは城下町の商家の娘、お尚(なお)。私と共に女中として雇われた女。
けど未だに自分が置かれた立場が分からない。私が笑わなくなった姫を救うだなんて…。
そんな私の隣で尚は言った。
「仕方ないですよ。私達平民が、意見する自由なんてないんです。それより、これはチャンスと受け取った方がいいですよ。姫様が笑顔を取り戻し、お殿様に気に入られれば、褒美を頂けるかも…。そしたら、ひもじい思いをする父と母にも少しは楽させてあげられるわ」
彼女の言う通りかもしれない。それに、どうでもいいことで悩むなんて、私らしくないわ。
「そうね。私達、力を合わせて頑張りましょう。笑わなくなったというお姫様を、絶対に笑わせてみせるわ!」
「ええ!」
私達は思いを一つにして、目指すべき場所――笑わない姫のいる西ノ森城へと向かった。
「…待っていたわよ」
城についてまず最初に私達は女中の部屋へ通され、そこには眼鏡をかけたふくよかな女性が待っていた。
「貴方達に依頼の文を送ったのは私…“城主の妻”っていえば分かるかしら」
奥方様…つまりはその姫様の母親だ。そんな方が直々に…これは思ったより重大なことになりそうだわ。
奥方様はあえてポーカーフェイスを保ちながら、それでも目の奥で寂しげな光を放ちながらこうおっしゃった。
「あの子は……藤姫(とうひめ)はね、昔はあんな風じゃなかったの。けれど、いつのまにか笑わなくなって…。」
「それで、何故私と彼女に?」思い切ってぶつけてみた。「それは、私の勘ですわ」
「勘ですって?」私と尚は、ほぼ同時にそう叫んだ。
いくら奥方様といえ、勘だけで平民を女中に選ばれるなんて…。しかも、姫様を笑わせるという重要な役割に。
「一体、どういうことですか?」
「あら、こうみえても私、勘は良いのよ。こないだ城下を見物したとき、偶々貴方達を見て一瞬でそう感じたわ」
「見た…私達をですか?」彼女は頷く。
それにしても一体、いついらしてたのかしら。そんなこと、今の今まで全く気付かなかった。
「私には分かるわ。貴方達が、きっと娘を救ってくれるって」
そういって、意味深な笑みを浮かべる。
「それじゃあ、頼んだわね」その言葉を最後に、奥方様は部屋を去って行った。
「どうする?」
奥方様が去って、私達二人は顔を見合わせた。
「どうするも何も…。やるしかないじゃない…」
「そうよね…」
確かにその通りだ。だが、問題はどうやってその姫様を笑わせるか…。
と、その時、後ろの戸が開いて、慌しく誰かが入ってきた。
「お清さん、お尚さん!お節(せつ)様がお呼びです!」
「どなた?」眉をひそめながら私は訊いた。
「あ…お節様は、姫様のお目付け役をなさっている、とても偉い御方です」
「違う、あなたよ」
彼女の言葉を遮って言った言葉に、苛立ちが表れているのが自分でも分かった。
「す、すみません…紀(きの)と申します」
「ではお紀さん、案内してくれる?」
「…はい」
お紀に連れられて辿り着いた場所は、恐らく広い城内でも特に広いであろう部屋だった。
奥の一段上がったところには、私達と(年は)同じくらいだが高貴な衣装に身を包んだ女性と、それに寄り添うかのように座っている眼鏡をかけた初老の女性が並んでいた。
「あちらの方が藤姫様、隣の眼鏡をかけた方がお節様です」
「貴女方が噂の新入りですの」
お節様が、眼鏡を押し上げながら如何わしそうに私達を眺める。
「…お清です」
「あ、お、お尚です!」
けれどお節様は、私達から目線を下げてつまらなそうにおっしゃいました。
「どちらだっていいわ。わたくしの邪魔さえしなければね」
そして姫様を一瞥してこの部屋を去って行った。
お節様の後に続く姫様は終始無言で、奥方様が仰った通り笑みを浮かべることなどありませんでした。一度だけ、私の方をちらりと見た気が致しましたが、それもすぐに視線を落としてさっさと部屋を出ていかれました。
「あれが、藤姫様…」
肩にかかる黒髪とその小さき瞳は “大和撫子” というにふさわしく、その吊りあがった眉は随分ときつい印象を、暗く重い緑色の着物はどこか寂しげな様子を思わせました。やせ型で、年は私共とあまり変わらないのでありましょうか。
私は、そんな姫様に少しばかりの同情を覚えました。
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2023.08.18 14:06