『笑わぬ姫君』(16)

 姫様と話した次の日、私は花ノ介様を探して町へ向かいました。

 走り回った結果、夕刻になってようやく橋のところにいるのを見つけた。隣には香坂さんも一緒です。

「あ、いた…!花ノ介様!」

「ん?」

 振り向いた彼に、私はもう一度姫様と話をしてほしいと告げました。

 案の定、花ノ介様は顔を曇らせる。

「でも、あいつは俺を嫌っている。きっともう許してはくれないんだ」

 私は首を振る。

「そんなことありません!言ったでしょう、彼女はあなたの血の繋がった妹です。きっと分かってくださいます」

 けれど彼は言う。

「あいつが会いたいのは、俺じゃない。海之進なんだ。それに、俺や海之進が今更城に戻っても、またお節のやつや母上たちに跳ね返されるだけだ」

「お節様も奥方様も、もう分かっていらっしゃいますわ。ですから戻ってきてください」

「……第一、おまえは誰なんだ?俺がいたときの女中じゃない。当時の俺を知らないおまえに、何が分かる」

 私は口ごもった。そんな私に助け舟を出すかのように、香坂さんが口を開く。

「おい、それは言い過ぎじゃないか?今のはどう考えてもあんたが悪い。だからちゃんと話をして……」

 彼が言い切る前に、花ノ介様は言った。

「そうだ、俺が悪い。そう、俺は妹であるあいつに…あんなに大切に思っていたはずのあいつに、とんでもなく酷い仕打ちをしてしまった。それから、あいつが慕っていた海之進にも。だから会わせる顔がないんだ」

 香坂さんの凛々しく形の整った眉が、わずかに動く。

「ならあの日、城に行ったのは何故だ?やはり彼女ともう一度話し合いたいと思っているからだろう」

「それは……」

 花ノ介様は口ごもったが、香坂さんはそれでも厳しい視線を崩さず、言葉を続けた。

「少しは、自分の気持ちに素直になったらどうだ。本当は、妹にずっと会いたいと思っていたくせに……無理などしおって」

「む、無理なんかじゃない!」花ノ介様はそう叫び、一瞬ためらってから「ただ…」

 香坂さんが、大きく溜息をつく。

「早く行け。今のような優柔不断なあんたは、正直いつものあんたらしくないぞ」

 彼に押され、花ノ介様はようやく決意を固められたようでありました。私達を置いたまま、城へと急ぐ。

 残された私達は、花ノ介様のお姿が見えなくなると、互いに視線をぶつけ合う。彼がいたたまれずに目をそらすと、私は笑い出さずにいられなかった。

「ふふ、あなたも結構いいところあるじゃない」

「ふん…!」

 香坂さんは、そう照れくさそうに鼻を鳴らしていましたが…。


 そして花ノ介は、再び西ノ森城の前に来ていました。

 お清のいうように、今度はお節にも奥方様にも止められることなく、彼は妹の部屋へたどり着く。彼女もまた、お清の策略により、花ノ介を待っていました。

「直…」

「兄様…」

 そう呟いたきり、二人の間に嫌な沈黙が続く。

 互いに話したいことがあるはずなのに、いざ目の前にすると、途端に気まずくなってしまう。いたたまれなくなった藤姫が兄から視線を逸らそうとしたそのとき、彼は思わぬ行動に出た。

「今まですまなかった、直!」

「えっ?」

 藤姫は目を丸くした。花ノ介が…兄が…自分に土下座をしたのだ。小さい頃は、横暴で自分から謝ることなど絶対になかった兄が…。

「そんな……兄様やめて!」

 藤姫は兄のもとに駆け寄り、頭を上げさせた。

「でも俺は、おまえに酷い仕打ちをしてしまったんだ……」

「何言ってるの、何年前の話よ?」

 ついこないだまでなら、「そうよ、あなたのせいよ」と兄のことを責めていたかもしれない。けど今は…お清に諭された今は、もう彼のことを許す気でいた。

「今更戻ってきたりして、図々しいのは分かってる。昔、おまえや海之進に嫌なことしてしまったのも、今は反省してるよ。だから俺は、事情があって帰れない海之進の代わりに、言付(ことづ)かってきたんだ。今は帰れないけれど、元気だから心配するなって。手紙……読んだだろ?」

 彼女は頷く。

「だったら……分かってくれないか?」

 彼女はもう一度頷いた。その目は、若干涙ぐんでいた。

「分かってる……もう分かってるわ。私の方こそ、今まで酷いこと言ってごめんなさい。それと、ありがとう」

「直…。いいんだよ、直…」

 兄妹は実に数年ぶりに、抱き合って泣いた。今までできなかった分、精一杯の力を込めて抱きしめた。

 もう、二人の間にわだかまりはなかった。

「久しぶりね、花ノ介…」

 聞き覚えのある懐かしい声に、彼は迷わず振り向く。するとそこには、彼が会いたかったもう一人の人物――奥方様、つまりは彼の母親の姿があった。

「母上…」

 彼女は数年ぶりに会った息子と、それから一皮剥けた娘の姿を順々に見た。

「藤姫…、花ノ介……。今まで悪かったわ。どうかバカな母さんを許してちょうだい」

「な、何の……?」

 頭に疑問符を浮かべる息子たちを制し、彼女は続ける。

「昨日、お清に言われたのよ……私は藤姫を可愛がりすぎたが故に、花ノ介を傷つけてしまっていたんだって。それで気付いたわ。私は悪い母親ね。あなただって私とあの人の実の子であるに関わらず、私は何も聞いてやれなかった。それどころか、幼い藤姫――直のいうことばかり聞き入れて、あなたをこの城…いえこの国全体から追い出してしまった」

 普段はポーカーフェイスなはずの彼女が、珍しく声を立ててすすり泣いた。

「花ノ介とともに、海之進を追い出したのは父さんだわ。彼はあの人の友人の息子さんではあったけれど、幼い愛娘と親しくすることに父さんは嫉妬と焦りを感じていたんだと思うわ。今更言えた話じゃないけど、今は本当に悪かったと思っているの。ごめんなさい……本当にごめんなさい…」

 そううなだれた母親の姿は、花ノ介が数年前に見た姿とはまったく違う――またずっと一つ屋根の下で暮らしてきた藤姫ですら見たことのない、随分と弱り切った姿でした。

「なぜ母上が謝るのですか?謝るのは俺の方なのに……」

 奥方様は首を振る。

「いいえ、私のせいよ。私は、自分の罪をあなたに……我が息子になすりつけたひどい母親なの――でも許してもらえないのも当然ね。私ったら、この期(ご)に及んでまで何考えてるのかしら」

 自嘲気味に笑う母の言葉を、これ以上続けさせたくなかった。

「もうやめてください、母上!俺は母上の弱り切った姿なんか見たくありません!俺は……母上には、昔のような厳粛な母親でいてほしいんです」

「花ノ介…」

 彼女は、逞しくなった息子の顔を見上げた。彼は隣の妹を見遣りながら、話を続ける。

「それに……許すも何も、俺は妹に酷いことをいっぱいしてきたんです。もちろん、海之進にも。ですから…」

 言葉が詰まり、藤姫が口を開いた。

「もういいのよ、兄様。私はもう怒っていないわ。それに母様も……父様や守ノ局、お節だって分かっているわ。海之進様だって分かってくださるわ」

「…直」

 藤姫は、にっこりと笑いかけました。これ以上ないほどの、心からの笑顔で。

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