『笑わぬ姫君』(14)

 城へ戻ると、女中部屋では花ノ介様とその友人であろう例の武士の話題で持ち切りでした。

「やっぱり、殿方は花ノ介様のような、野性味(ワイルド)な方に限るわね」

 そう言うのは町奉行の娘であった、ややきつい目が特徴の若女中・お綾(りょう)です。

 その意見に、おたみが口をとがらせる。

「あら、殿方は優しい心を持った人でないと。隣にいたあのお侍さんのような、ね」

「優しい?あのお侍さんが? “冷たい” の間違いじゃないの?」

 別の女中がとがめると、おたみは抜けるように白い頬を真っ赤に染めて、可愛らしく膨らせました。

「違うわ、あの方は “優しい” 人よ。まあ、確かに横暴なところはあるけれど……冷酷かつ非情な仮面に隠された優しい心、とでもいえばいいのかしら」

「つまり、人は見かけによらないってことね」

「そうそう!」

 盛り上がる女中たちに、まるで “恋する乙女” ね…と私は思った。やっぱり、女性社会で盛り上がるのはかっこいい殿方の話よね、とも思う。

「ねえ、あのお侍さんの名前、香坂(こうさか)さんとおっしゃるらしいわよ」

「そうなの?」

 意中の人の話題に、おたみがすかさず反応する。

「ええ。香坂秀武(ひでたけ)さんとおっしゃるらしいわ。うちの父が井助(いすけ)さんのところの道場で働いているお侍でね、彼…香坂さんもそこで修行をしていたらしいの。若いのによくできた方だって、父も褒めてたわ。まさに、『一を聞いて十を知る』って方なんですって」

「まあ……やっぱりすごいのね、香坂さんって」

 おたみが、可愛らしく頬をほんのり桜色に染める。

 けれどお鷹(たか)――眼鏡をかけていて、おまけにポーカーフェイスなので、奥方様の背の高い版とか痩せている版とか言われている女性です。まあ、奥方様よりは少し若いのですけれど――はそんな彼女たちを横目で見て、つまらなそうに言った。

「貴方達はいいわね、そんなことでたちまち愉快になれるんだから。私からしたら、あんなの子供っぽいだけだわ」

「そんなことって……花ノ介様は、素敵な人よ。この良さが分かんないなんて…」

 すかさず、お尚が口をはさむ。なんか怪しいと思ったら、やっぱりそういうことだったのね。

「あんた、意外と分かってるじゃない!そうよ、やっぱり殿方は野性味よ」

 お綾の共感を得て、他の女中たちも挙(こぞ)って言う。

「そうですよね~。やっぱりお綾さんの言うとおりだわ」

「お鷹さんの考えが、ちょっと古いんですよ。今は違うわ、男は野性味!」

「そう、野性味!」

 若い女中たちは、また盛り上がる。お鷹はフンと鼻を鳴らして、つまらなそうに去って行きました。

 お紀やお松(まつ)――ほっそりしているお紀とは対照的に、ややふくよかな顔をした、年はお鷹より少し若いか同じくらいで、女中たちのお姉さん的存在の方です――が、お尚とお鷹のやり取りも含めて、それを心底微笑ましそうに見つめている。

「ふふ、モテる殿方は辛いわね」

 そう呟いたお松もまた、あの武士…香坂さんを気に入っている様子でした。

 ただお紀だけは、崇拝してやまない天草四郎(一昔前にあった長崎の、島原の乱のときに大活躍した例の美少年です)の方が断然素敵だと言い張っていましたが…。


「何話してるのよ」

 いつのまにやってきたのか、そこには姫様の姿がありました。

「あ、姫様…」

 姫様でもあろうお方が、なぜこんな…女中部屋なんかに?女中たちは驚きと焦りを隠しきれません。

「何よ、私が来ちゃいけない?」

「そ、そんなことありませんわ。それで、いったい何の御用なんです?」

 すると姫様は厳しい顔をして、

「今、あの人たちの話をしてたでしょう。この間来た、あの男たちよ」

「花ノ介様と、あのお侍さん――香坂さんのことですか?」

「そうよ。いい?私のいるこのお城で、あの二人の話は今後一切しないでちょうだい。分かったわね?」

 そう言って去って行かれた後、女中たちは怒りを顕わにしました。

「何よ、嫌な人!」

 あの日のお尚と同じセリフを、姫様の後ろ姿に向けて吐き捨てます。けどそのお尚はそれに加担せず、とっさに姫様の方を庇いました。

「それは違うわ。姫様は、とても素晴らしい方よ。ただ、そうね……愛情表現が少し苦手なだけなの。口ではあんなこと言ってるけど、ほんとは分かってくださってるわ」

 お綾が、不満げに言う。

「どこが分かってるのよ。私達女中が日々あの人のためにどれほどのことをしているか知らないくせに、あの女ときたら、次々にわがままを押しつけて…。ホント、手がかかるったらありゃしないわ。それとも何?あなたは私達女中じゃなくて、あのわがまま姫様の味方なの?」

「それは…」

 口籠るお尚を代弁するように、私は言った。

「姫様はね、わがまま気ままでお強そうに見えるけど、ほんとはそんなことないの。私達と同じ――辛い時は辛いし、泣きたいときは泣くのよ。今はちょうど、その辛い時なの。だから、あなたたちも人間なら、黙って見離すんじゃなくて、優しく手を差し伸べてあげなさい。そうでしょう?」

 そのとき、後ろから細かい拍手の音が響き渡り、振り返るとそこには、守ノ局様の姿があった。

「彼女のいう通りですよ。辛いときに本当に放っておいてほしいと思う人間なんていません。それなのに、人間は思っていることとは真逆の行動に出てしまうものなのです。勘がいい人は、もうとっくに気づかれているでしょう?強く振る舞われている藤姫様に、どこか寂しげな影があることを。」

 お綾も、おたみも、他の女中たちも、急に黙って何か考えているようでした。

「そして、そういった人間に手を差し伸べることにも、非常に勇気がいることです。かといって勇気を出さなければ、その痛みや辛さはあとで自分に返ってくるだけだと思います。だから勇気を出しなさい。そうすれば、いつしかきっと彼女も笑顔を取り戻してくれることでしょう」

 早く言ってくれれば私達も四苦八苦しなくて済んだのに…と嘆くお尚に、守ノ局様は笑っていいます。

「ふふ、だって私はもうこんな年ですもの。こういったことは、若い方におまかせするのが一番ですわ。ほら、今も慣れない事したものですからどっと疲れが……ごめんなさい、少しあちらで休んできますね」

 お和を引き連れ、彼女は自室へ戻って行った。広い部屋に、沈黙が流れる。

 沈黙の中、私はふと思う。もしかしたら、守ノ局様はすべて分かっていたのかもしれない…と。たしかに、姫様の秘密を守るためというのもあっただろうけれど…。

 そのとき、沈黙を破るかのように、おたみが声をあげた。

「あの……さっきはごめんなさい。わたし、何も知らないくせに…あんなこと言って…」

 続いて、他の女中たちも謝罪を述べる。

「いいのよ。それに、謝罪なら藤姫様に言って。姫様のことなんだもの」

 それを聞いて、安堵感からなのか、おたみは泣き出してしまった。

「あらあら……何も泣かなくても。大丈夫よ、姫様は許してくださるわ」

「そうよ。守ノ局様が言っていたでしょう?勇気出して、おたみさん!!」

 私やお尚、さらには姉御肌のお松や、他の女中たちにも励まされ、おたみはようやく泣きやんだ。

 すると、今まで黙っていたお綾が、言いにくそうに視線をそらしながら呟く。

「わ…たしも…悪かったわ…あんなこと言って…」

 おそらく本人は、柄にもなく…と思っているのだろう。でもその勇気を、私は称(たた)えたかった。おたみの勇気や、少し前の女中部屋での事件のときの、お紀の勇気とはまた違うけれど。

「いいのよ、お綾さん。よく言ってくれたわ。今度はその勇気を、姫様の前で使ってみて。」

「お清さん…」

 いつも取り澄ましている彼女の目から、光るものが流れた。

「お綾さんも、おたみさんも、それから他のみんなも、これからは姫様に優しくしてあげてね。話し相手になってあげるのもいいわ。きっと、あの方もお喜びになるわよ」

 そうして彼女たちは、お清たちとともに姫様を笑わせる手伝いをし始めた。


 もう『わがまま姫』などと言う人は一人もいない。

 みんな姫様に会っても愛想よく挨拶し、中にはわざわざ女中頭やお目付け役の目を盗んで、藤姫様の部屋へ話しにいく者もいる。

 当の姫様も、また少し明るくなった気がしたけれど、それでもあの一時――城下訪問の帰りに見せた、天使のような笑顔を見せることはなかった。

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