『姫君は算術がお好き?』(4)


4.初めての友達


 城主様の部屋を出て、私は再びあの隠し部屋に来ていた。

 鞠姫様には少し渋い顔をされたが、私が妹君に会いたい旨(むね)を伝えると、仕方ない、と呟いて彼女の元へ通してくれた。

 そうして再び会った彼女は、部屋の中央に敷かれた布団の上に静かに横たわっていた。

「あの、陽姫様……」

 枕元へ膝をついて声をかけると、彼女が僅かに目を開ける。

「あ……、あなたは……さっきの?」

「お休みのところ、失礼いたします。本日より姫様の専属女中を命じられました、松(まつ)と申します。至らぬところもあるかと存じますが、宜しくお願いしますわ」

「せんぞく、じょちゅう……」

 姫様は口の中で繰り返して、ゆっくりと起きあがると私の目を見つめた。

「じゃあ、私のお友達になってくれる?」

 一瞬、どういう意味か分からなかった。私は彼女の話し相手として雇われたのであって、彼女の友達として雇われたわけではないと。けれどその意味はすぐに解けた。彼女は、”彼女自身が” 私と『友達』になりたいと願っているのだ。

「もちろんですわ。私なんかで良ければ、ですけど。きっと不満は言わせませんわよ」

「不満なんてないわ。だって私は、初めて見たときからずっと、あなたとお友達になりたいと思っていたのですもの」

 それにね、と彼女は言う。

「私、八歳のときに病を患(わずら)って城に幽閉されたから、同じくらいの年の友達っていないの。だからあなたが来てくれてよかった。私、あなたとは仲良くなりたい――ううん、なれそうな気がするの」

「なれそうな気がする?」

 姫様は頷く。

「何故か分からないけれど、そんな気がするのよ。私とあなたは、きっと仲良くなれるって。気を悪くされたならごめんなさい」

「気を悪くするなんて、そんなこと絶対にないわ」

 私が言い切ると、彼女は頬を緩めた。そしてしばらく私の顔を見た後、急に思い立ったようにあっと声をあげた。

「ねえ、あなたのこと、お松って呼んでもいいかしら?」

「ええ……もちろんですわ、陽姫様」

「その陽姫様、はやめて。何だか堅苦しいわ。お友達なんですもの、陽って呼んでくださらない?」

 はあ、と声にもならない溜息がもれる。

「お願いが無理なら、これはあなたの主人としての命令よ。いいこと、私のことは『陽姫様』ではなく『陽』と呼びなさい。それと敬語も禁止です」

 そこまで言われちゃったら、断る理由がない。私はその命令を受け入れた。

「分かりまし――いえ、分かったわ、お陽」

 それから早速、彼女は『友達』となった私のことを聞きたがった。いつからここで働いているかとか、幼少期はどんな子だったとか、とにかく色んなことを。そして私も、できるだけ懇切丁寧(こんせつていねい)に答えた。

「実家は、わりと裕福な商家だったと思うわ。そのせいか両親が多忙で、私はいつも幼い弟妹の面倒を見ていたの。それから十二歳のときにここへ女中奉公に出されたから、勤めて十年以上にはなるわね。昔は住み込みで働いていたけど、五年ほど前に結婚してからは、婚家(こんか)から通うようになったわ」

 私の話を興味深そうに聞いていたお陽が、感嘆の声をもらす。

「お松は、しっかり者なのね」

「ええ、自分ではピンとこないけれど、そうらしいわね。女中仲間にも、よく姉御肌だって言われるわ。仲間って言っても、ほとんど後輩なんだけどね」

「いいなあ、私、羨ましいわ。私にはお姉様はいるけれど、弟妹はいないのよ。年下の兄弟って、可愛いんでしょうね。私にも弟妹や後輩がいたらいいのに」

 羨望(せんぼう)の眼差しで語る彼女に、思ったより大変よ、と苦笑いする。けれど彼女は大変でもいいの、なんて言いながら、ふふっと笑った。

「ねえ、お松の旦那様って素敵な人?」

「もちろんよ。だから結婚したの」

 さらりと言ってのけると、お陽はかすかに顔を赤らめて、目を輝かせた。

「いいな。私もお松みたいに恋をして、そんな結婚をしてみたい」

「きっとできるわよ、お陽なら」

「だといいけど」

 そう呟いて、ふと視線をずらした彼女の瞳がかげり始める。まただ。お陽の目、さっき鞠姫様が彼女のことを話したときと同じ目。不安そうな、それでいて寂しそうな目。

「私、ここに来てから一歩も外の世界に出たことがないの。窓から見える庭も、賑やかな音が聞こえる城下町も、かつて暮らしていたはずのあの村も。だから私、外の世界のこと何も知らない。幼い時、まだ元気だった頃に見たあの風景も……もはや色あせてしまったわ」

「お陽……」

 思わず、手を重ねる。そして、もう二度とお陽にこんな顔をさせないと心の内で強く誓った。

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